第7章世界選手権(6)充実の関東リーグスタート

その6 充実の関東リーグスタート

  アジア選手権が終わった2004年5月1日、第6回関東リーグが始まった。しかし、話を少し戻して、その約1ヶ月前の4月11日に行われた第4回地域チャンピオンズリーグについての報告をしておく。本来、地域チャンピオンズリーグは、その年の地域チャンピオンを決める大会であるから、年度内に行われるべきものだが、この時はまだ、年度にまたがって行われた。

 

 優勝は、決勝戦で北海道のダイワスポーツ札幌を7-4で下したシャークスであった。シャークスのメンバーには大森茂春(のちにバルドラール浦安、マルバ)、広瀬孝夫(のちにファイルフォックス)、岩本、松浦英、下山、横山、村松、鵜飼、関、ゴールキーパー角田らがいた。一方のダイワスポーツ札幌には、監督の小野寺(のちにエスポラーダ北海道監督)、鈴木則和(のちにエスポラーダ北海道コーチ)、神啓治(のちにパサジイ大分、エスポラーダ北海道)らがいた。

 

 シャークスは、関東リーグ優勝に続いて地域チャンピオンズリーグに優勝したので2冠を達成したことになる。のちにシャークスは、Fリーグを目指して関東リーグを離脱、静岡県リーグに移る行動に出るが失敗、結果的にチームは消滅してしまう。したがって、この優勝がシャークスにとってFリーグにもっとも近づいた時だったといえるだろう。

 

ちなみに、関東からはシャークス以外にカスカベウと府中アスレティックが出場していた。カスカベウは日本代表に前田、金山、稲田を取られ、準決勝で4-7でダイワスポーツ札幌に敗退、府中アスレティックは、シャークスに1-1のPK戦で敗退している。同時3位にカスカベウと府中アスレティックがなった。

 

そして、5月1日、第6回関東フットサルリーグが始まった。世界選手権に出場できるかも知れない期待が現実のものになり、全国リーグ設立の動きもちらほらサッカー協会から聞こえてきたのもこの時期である。たとえば、この頃、サッカー協会フットサル委員会副委員長の松崎康弘は、フットサルマガジンピヴォのインタビュー記事の中で、早い段階で全国リーグを立ち上げたいと述べている。また、その前提には、今度の世界選手権に出場できることとも述べていた。それほど、アジア選手権での結果は大きかった。

 

となると、全国リーグを目指すチームにとっては、実力と運営能力が重要になり、この頃からその準備にとりかかるチームが現れた。その先駆者がプレデターである。プレデターは、すでに紹介したとおり、ブラジル帰りの市原を獲得していたが、この年からさらに大型補強を行い、戦力強化を図った。カスカベウから相根を第5回関東リーグの終わり頃に獲得、この年は同じカスカベウから昨シーズンの関東リーグ得点王の安藤、関西のカンカンボーイズから2003年度関西得点王の江藤正博を獲得している。さらに、北海道のdivertidoから若い高橋健介(のちにスペインのセゴビア)がデビューしている。江藤は、第8回選手権でロンドリーナが優勝したとき、決勝戦の相手、カンカンボーイズにいた選手で2003年タイランド5の日本代表に選ばれている。また、運営能力の面でも2003年から、法人化を行い、フットサル界に契約という概念を持ち込んでいる。実際、スポンサードする企業が増えてきて、経理面でも法人化にしておかないと不都合が生ずるようになってきたため、法人化のチームが増えてきた。

 

府中アスレティックも同様で、同じく2003年にNPO法人を立ち上げている。戦力の方は、大型補強はないものの昨シーズン、関東リーグ、地域域チャンピオンズリーグとも3位の経験から、完山徹一、伊藤、中沢亮太(のちにカフリンガ)、森拓郎、三井健(のちにファイルフォックス、デウソン神戸、バルドラール浦安)らのレベルアップが期待された。  

 

ちなみに完山は、鳥取出身で、フットサルテクニックで有名な奥山蹴球雑技団を経て、上京、府中アスレティックに前年第5回の終盤から入団した。高校時代はアルゼンチンにサッカー留学の経験を持つ。のちに、名古屋オーシャンズに移籍、Fリーグに上がった。以前に読売ユース出身、FC東京と紹介した伊藤は、さらに2003年の第4回の終盤から参加したが、のちにファイルフォックス、デウソン神戸と移籍、日本代表にも選ばれた。今は(2010)、古巣の府中アスレティックに戻っている。

 

一方、迎え打つ2強の1つファイルフォックスは、稲葉、岩見(以前、読売ユースと紹介、のちにステラミーゴ岩手)を加えた。カスカベウは、マグから狩野新(のちにペスカドーラ町田、日本代表)、インペリオから関根允を加えている。

 

 もう一つ、充実したことがある。それは、教育リーグのスタートである。いわゆるサテライトリーグのことで、戦力強化には若手の育成が不可欠である判断から、関東リーグの有力チームが集まって、私的な下部リーグを作ったのである。コートはミズノフットサルプラザ味の素スタジアムの好意により、格安で提供してもらった。ほとんどの関東リーグのチームが参加してスタートしたのは2004年7月であった。

 

 このように、日本リーグ設立も視野に入れて、ますます充実していく関東リーグであった。

 

(続く・・毎週日水+随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。)

 

著者プロフィール

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木暮 知彦
関東フットサルリーグ広報委員。1998年よりフットサルの普及に努め、現在に至る。

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このページは、木暮 知彦が2010年8月22日 00:11に書いたブログ記事です。

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