その5 悲願達成
2004年4月16日から開催された第6回アジア選手権は、参加国は18カ国、うち、3位以内が世界選手権のアジア代表として出場できることになる。世界選手権は11月に台北で行われる予定だ。
参加国の18カ国は、4グループに分けられ、予選リーグのグープ1位、2位が決勝トーナメントに進出できる。イランは前回優勝、日本は2位であったから、それぞれが予選グループ1位となれば、決勝までは当たらない組み合わせとなった。今まで、がんばって2位を確保して来た甲斐があったというものである。日本のライバルは、イランを筆頭にタイ、ウズベキスタン、中国と目されていた。
日本は、予選グループCに入り、レバノン、キリギスタン、フィリピン、マカオと対戦する。宿敵イランは、グループAに入り、ウズベキスタン、インドネシア、カンボジア、香港と対戦する。タイは、マレーシア、中国、グアムのDグループであった。
決勝トーナメント、日本が1位で通過した場合、日本はD2位の恐らくは中国と当たる。一方、イランはA1位で通過するのは確実なため、A2位のウズベキスタンと日本は準決勝で当たることが予測された。タイは、イランと当たるため、日本は3位決定戦にまわらない限りタイとは当たらない。
要するに、グループ予選1位で通過、中国、ウズベキスタンを破って、決勝でイランと対決する筋書きができていた。
では、その筋書きにそって戦うメンバーはというと、2月の合宿、3月のオーストラリア遠征を経て、結局、以下のメンバーに絞られた。(GK:ゴールキーパー、FP:フィールドプレーヤー)
GK 川原 永光:田原FC
GK 遠藤 晃夫:ファイルフォックス
FP 鈴村 拓也:マグ(のちのシュライカー大阪)
FP 相根 澄:プレデター(のちのバルドラール浦安)
FP 難波田 治:ファイルフォックス
FP 前田 喜史:カスカベウ(のちのペスカドーラ町田)
FP 藤井 健太:マグ(のちのシュライカー大阪)
FP 市原 誉昭:プレデター(のちのバルドラール浦安)
FP 稲田 佑介:カスカベウ(のちのペスカドーラ町田)
FP ヒカルド 比嘉:琉球FC
FP 金山 友紀:カスカベウ(のちのペスカドーラ町田)
FP 木暮 賢一郎:ファイルフォックス
FP 稲葉 洸太郎:渋谷ユナイテッド
FP 小野 大輔:フトゥーロ
GK 定永 久男:ファイルフォックス
フィールドプレーヤーのメンバー構成を分析してみると、カスカベウから3人、ファイルフォックスから2人、プレデターから2人、マグから2人、フトゥーロ、琉球FC,渋谷ユナイテッド各1人となっている。しかし、よく考えて見ると、フトゥーロ小野、琉球FC比嘉は、かってファイルフォックスでプレーしていたわけであるから、ファイルフォックス系と考えると4人になる。一方、プレデターの相根、市原もかってはカスカベウに在席していたから、カスカベウ系は5人になる。ちなみに相根は昨シーズン後半から、プレデターに移籍していた。
つまり、関東三国志の両雄がフィールドプレーヤーの大半を占めていることになる。このように考えると、合従連衡を繰り返しながらも、同じ舞台で死闘を演じてきた集大成が、日本代表であることがよくわかる。
ちなみに、こののち、藤井は、関西からプレデターへ移籍、稲葉は都リーグからファイルフォックスへ移籍、同じ舞台に上がることとなった。
もう一つの視点は、4年前、バンコクの悲劇といわれ、あと一歩で世界選手権を逃した経験者は、難波田、鈴村、市原、相根、前田、藤井、ゴールキーパー定永の7人で、約半数を占めることである。それだけ、今度こそという気持ちが入っていた。
このように考えると、悲願とはいえ、経験もある、気持ちもあるということで、世界選手権出場は当然といえるかも知れない。実際、予選リーグは、レバノンに4-0、キリギスタンに4-1、フィリピンに12-0、マカオに17-0と軽く1位を突破、決勝トーナメントも、予想通り、中国に5-2と勝ち進んだ。そして、迎えた準決勝のウズベキスタン戦、もはや、前回のバンコクの悲劇は起こらなかった。5-2で快勝、少なくとも2位を確保し、悲願の世界選手権出場を決めたのであった。
しかし、決勝のイラン戦は、先制点を挙げるものの実力的にイランにねじ伏せられた格好で、3-5で破れ、優勝はならなかった。世界選手権出場の安堵感もあったかも知れない。結局、またしても2位に終わり、イランを破ってのアジア選手権優勝は第8回大会まで待たねばならなかった。
この悲願達成にポエイラの果たした役割、貢献も大きかった。まず、大きな日の丸の弾幕を用意、サポーター達の応援メッセージの書き込みを集め、会場に掲げた。また、揃いのブルーのTシャツを着込み、応援用のスティックバルーンを叩き、気勢を揚げた。ただ、まだまだ当時はサポーターといっても、いわゆるサッカーのサポーター軍団というイメージではなく、団長の山川、サポーターの先駆者、シャークスの「トヨ」、ガロの「ワカン」らのサポーターに混じって、関東リーグをはじめ地域リーグ関係者、フットサル施設関係者、メディア関係者、選手の家族らが渾然一体となって応援をした。しかし、世界選手権に出場できれば、フットサル界に明るい未来が開けるという期待を共有した希望に満ちた応援であった。当時の雰囲気を団長山川が自身のブログでこう書いている。
(ブログ)
結局マカオに乗り込んだメンバーはサポーターというよりも関係者の集団だった。クラブの社長からメディア、選手の彼女まで、色んな立場の人間が一緒にフットサルの未来を夢見ていたイイ時代だったな~。
一緒にいた大人たちもサポーターというものを良く分かっていなかったようで、面白い出来事もあった・・・。応援デビュー戦の中国戦。結果は日本の勝利。その試合後。同行したある大人に呼ばれた。
「おい!太郎!こっち来てくれ!」
見ると中国サポーターのボスらしき人物をつかまえている。
「熱戦の証に、ボス同士握手をしてくれ。」
「え?あ、あぁ、はい。。」
こんなのサポーターの世界で聞いたことない。ましてや負けた相手に握手されるなんて、国の彼は屈辱だったろう。しかしその大人の勢いに押され、お互い苦い顔で握手をして記念撮影・・・。
今となっては笑える。あの時代ならではのエピソード。なつかしい。
(続く・・毎週日水+随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。)