第7章世界選手権(4)悲喜こもごもの関東リーグ参入戦

その4 悲喜こもごもの関東リーグ参入戦

  アジア選手権開催1ヶ月を切った2004年3月27日、28日、国内では日本代表に負けじと早くも熱い戦いが始まっていた。それは第6回関東リーグの参入戦で、小田原アリーナで行われた。第4回はカスカベウ、第5回はシャークスと初参入、初優勝が続いたが、同じく有望なチームが参入してくるのであろうか。

 

 参入戦は、関東リーグ11位、12位のチームと各都県1位もしくは2位チームとが参入を賭けて戦うものであるが、毎年、悲喜こもごもの結果となる。この年の参入戦も同様で大きなドラマがあった。各チームは、関東リーグ11位のグループと12位のグループに抽選で分けられ、おのおのトーナメントの優勝チームが関東リーグに昇格できる。

 

 まず、11位グループには、11位の小金井ジュールはもちろんのこと、有力チームに、東京都2位の渋谷ユナイテッド、埼玉1位の高西クラッシャーズ、1昨年まで関東リーグにいて、第4回の関東リーグで降格した神奈川2位のブラックショーツらが入った。

 

 12位グループには12位のセニョールイーグルス、ブラックショーツと同じときに降格した千葉1位のメイクナイン、東京1位のゾット、埼玉2位のミッドフィールドクラブなどが入った。

 

 注目は、やはり東京の1位、2位のチームである。

 

1位のゾットは早稲田大学サッカー同好会メンバーで結成したフットサルチームである。現在(2010年8月)、関東1部で1位となっているチームだが、結成は2000年春というからすでに10年の歴史を持つ。メンバーには、今でもメンバーあるいはコーチの清野潤、小林等、松田啓祐、小笹裕介、中野泰宏、美好裕輔、日本代表にも選ばれたことのあるゴールキーパー渡辺(のちにバルドラール浦安)らがいた。結成時には大学1、2年生だったが、この年はすでに卒業、社会人になっていた。同じ大学のOBが多く集まって関東リーグに挑戦という異色のチームである。

 

 このチームとファイルフォックスとは縁がある。まず、ファイルフォックスと練習試合や都カップ戦で対戦、これに敗れた悔しさから本格的にフットサルに取り組んだことである。それは、府中水元クラブ、アズーがサッカーチームに敗れて本格的にフットサルに取り組んだ動機と似ている。違いは、フットサルチームがサッカーではなくフットサルチームに敗れたことがきっかけになったことだ。時代の流れを感ずる。

 

また、2001年にはファイルフォックス設立者の鵜飼を招き入れ、指導を仰いで強くなった。昔は自分で勉強したものだが、指導を受けることができるようになったのである。それだけ、フットサルの選手層が厚くなったことを物語る。

 

 都リーグ2位の渋谷ユナイテッドは、1998年に設立(代表の松田尚が設立)というから、ゾットよりさらに歴史がある。関東リーグ昇格を目指して、このチームは次々と戦力強化を図っていた。2002年から2003年にかけて、すでに紹介したサッカーの強豪チームFCベンガから垣本、菊池完、いずれはボツワナと合体するフットサルの「森のくまさん」から、北原、稲葉らを加え、東京都2部、1部と昇格、本大会に臨むこととなった。また、ゴールキーパーには、古庄亨(カスカベウ、プレデター)を1月に加えている。

 

 11位グループ、最初のトーナメントの山の準決勝は、下馬評どおり、小金井ジュールと渋谷ユナイテッドの対戦となった。前半は1対1の互角であったが、後半に入ると渋谷ユナイテッドの稲葉、菊池の活躍で、4-2で渋谷ユナイテッドが勝利、渋谷ユナイテッドが決勝に進む。この時点で小金井ジュールの降格が決まった。第2回関東リーグ優勝、第1回地域チャンピオンズリーグ優勝の成績を残した古豪も新興勢力には敵わなかった。

 

 もう一つの山の準決勝は、こちらも下馬評どおり、高西クラッシャーズとブラックショーツの戦いとなった。結果は1対1のPK戦をブラックショーツが制して、ブラックショーツが決勝に進む。高西クラッシャーズは、2年連続PK戦負けという不運に見舞われた。結果論かも知れないが、上澤(のちに名古屋オーシャンズ、府中アスレティック、日本代表)が世に出るのが遅くなった要因かも知れない。結局、高西クラッシャーズは関東リーグが2部制になった2007年の第9回関東リーグにて2部に昇格する。無念なことに参入戦に勝ち抜くことはできなかった。(チーム名は高西フットサルクラブ、のちにアルティスタ埼玉と改名)

 

 11ブロックの決勝戦、ブラックショーツ対渋谷ユナイテッドは、壮絶な戦いとなった。戦力的には渋谷ユナイテッドに分があったが、準決勝戦で垣本が負傷で出られず、就職活動で北原が遅れてユニフォームチェックに間に合わず、出場できないハンデを背負うことになってしまった。

 

結果は、前半は3-2でブラックショーツがリード、後半もブラックショーツがリードすれば渋谷ユナイテッドが追いつく展開で、残り3分まで6―5でブラックショーツがリードしていた。しかし、なんと残り45秒で渋谷ユナイテッドのゴールキーパー古庄のシュートが決まって6-6の同点になり、勝負の行方はわからなくなる。しかも、残り3秒、渋谷ユナイテッドは第2PKのチャンスを迎える。しかし、無情にもこれは決まらず、PK戦に突入した。しかし、もはや渋谷ユナイテッドは精魂使い果たしていたのだろう、PK戦はブラックショーツが制し、渋谷ユナイテッドは昇格ならなかった。

 

このように壮絶な戦いとなったが、この結果は関係者にさまざまな岐路をもたらすことになる。

 

まず、渋谷ユナイテッドは、こののち、稲葉、北原、垣本、菊池らの中心選手を失い、その後建て直しを図るものの2009年にはついに東京都1部の活動を中止、エンジョイチームとして再スタートすることとなった。このことはあまり報じられていない。

 

稲葉は、代表候補に選ばれたことで、ファイルフォックス木暮らとの親交から第6回関東リーグよりファイルフォックスに移籍することとなった。そして、第6回アジア選手権日本代表、翌年の第10回選手権優勝と一気にひのき舞台に踊り出る。北原は、いったんは就職をするが、フットサルへの想い絶ちがたく、翌年、ボツワナに入団、関東リーグ昇格に貢献するとともに本格的にフットサル選手を目指すこととなった。恐らく、稲葉の活躍が刺激になったのではないだろうか。北原は、のちに名古屋オーシャンズのキャプテン、FリーグMVPまでなるのは周知のとおりである。

 

垣本、菊池らは、のちにカフリンガを設立、カフリンガは2006年に関東1部昇格を果たす。垣本はその後、関東リーグ得点王になるなど活躍、菊池完はサッカーとかけもちちで活動していたが、FC岐阜とプロ契約に成功、2006年、FC岐阜のJ2昇格とともにJリーガーになった。

 

ブラックショーツには森岡薫がいた。昇格した年はブラックショーツでプレーするが、関東リーグを経験したことでさらにステップアップすべく翌年はファイルフォックスに移籍する。のちに大洋薬品バンフで選手権優勝、名古屋オーシャンズではFリーグ初代MVPと頂点に駆けあがった。

 

ちなみに、現在(2010)、名古屋オーシャンズでチームメイトとなり、日本を代表するピヴォとベッキとなった森岡と北原が、2度とないこの日限りの壮絶な戦いの参入戦の場に居合わせたことは、何か因縁めいたものを感じる。もし、渋谷ユナイテッドが残り3秒の第2PKを決めていたら、そのあとのPK戦に勝っていたら、彼らにはどんな運命が待っていたのであろうか。

 

12位のグループは、ベスト4に12位のセニョールイーグルス、東京都1位のゾット、神奈川1位のミリオネア横浜、茨城2位のサルバトーレソーラが残った。

 

 ここでの注目は、このベスト4のチームの戦いではない。注目は1回戦のセニョールイーグルス対メイクナインの戦いである。両チームとも千葉県のチームで、メイクナインは第2回に関東リーグ入り、第4回で11位となり降格、一方、セニョールイーグルスはその時の参入戦でメイクナインと入れ替わりで関東リーグに昇格した因縁のチーム同士である。皮肉にも、その両者が残留・昇格を争い、直接対決することになったのだ。セニョールイーグルスは昇格後1年で最下位となり、参入戦にまわることになったわけであるから、絶対に負けられない。一方のメイクナインにしても、ここで復活ならなかったら、2度と復活のチャンスはないと思っていた。

 

 結果は、6-5でセニョールイーグルスが勝った。メイクナインは先制点を奪い、一時は2点差をつける健闘を見せたが、1昨年降格したときに主力が抜け、登録メンバーが10人という苦しい選手層が響いたか、1点差で涙を飲んだ。この結果、メイクナインは解散、ここにも参入戦をきっかけに表舞台から引くチームが現れた。しかし、勝ったセニョールイーグルスも次のゾット戦に敗れ、最短復帰はならなかった。

 

 そして、12位グループを制したのは、ミリオネア横浜を4-2で下したゾットであった。チーム結成から4年、ファイルフォックスに勝つことを目標に研鑽を重ねた努力が実り、ついにファイルフォックスと同じ土俵に立つことができたのだ。しかし、この時は、これが1年しか持たず、苦難の道が待っているとは誰も想像できなかった。

 

 悲喜こもごもの関東リーグ参入戦はこの先もドラマを生み続けるのであろう。 

 

(続く・・毎週日水+随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。)

 

 

著者プロフィール

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木暮 知彦
関東フットサルリーグ広報委員。1998年よりフットサルの普及に努め、現在に至る。

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このページは、木暮 知彦が2010年8月18日 00:24に書いたブログ記事です。

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