関東には、人、モノ、金が揃っていたと前回書きましたが、そればかりではなく、第4の経営資源とも言われている「情報」があったことが関東をフットサルの中心へと導いたのでした。
フットサルは、スペースがない、ゴールが狭い、室内の水平な床面でボールは比較的正確に滑るなどの特性から、空間(スペース)と時間(タイミング)をどうコントロールするか、極めて知的なスポーツです。したがって、プレーヤーが上手くなるためには情報や知識が必要になります。その結果、情報源、知識源に必然的にプレーヤーは集まって来ます。その場所が、関東それも府中だったというわけです。このことは、「第1章その2府中水元クラブ」あるいは「第1章その7関東三国志2強勢力図考察」などに書いています。
では、なぜ、府中がフットサルの情報・知識の情報供給源になり得たのでしょうか。それは、フットサルの発祥ブラジルから日本に定住するようになった日系ブラジル人と府中のサロンフットボールの結びつきが出発点といっても過言ではありません。
まず、日系ブラジル人の歴史ですが、選手権が始まった6年前の1990年に入国管理法が改正され、日系3世まで就労可能な地位が与えられようになりました。この結果、ブラジル、ペルー等の中南米の日系人の入国が容易になり、来日者数が飛躍的に増加したのです。そして、労働力の受け入れ先としては、製造業の工場が中心となり、北関東地方、甲信越地方の機械、精密工場、東海地方の組み立て工場などに日系ブラジル人が多く定住するようになりました。
ちなみに、2009年の在日ブラジル人の居住人口は、愛知県6万7千人、静岡県4万3千人、三重県1万9千人、群馬1万5千人となっています。東京都は4千400人です。
1990年頃の分布はよくわかりませんが、この分布から類推、人口だけ見ると、関東よりも東海地方がフットサルの中心になりそうです。しかし、当時は、東京・府中市は東芝、NECなどの工場全盛時代で、それなりに多くの日系ブラジル人が働いていました。その中には、あの眞境名オスカー氏もいました。
一方、府中のフットサルの歴史ですが、驚くことに1986年頃つまり1990年の入国管理法改正の4年前、1996年第1回の選手権開催の10年前に、第1回の府中フットサル大会が開催されているほど、フットサル(当時はサロンフットボール)が盛んだったのです。
ファイルフォックスの現松村監督の話によると、松村監督がまだ23か24歳の頃(恐らく1983年から84年頃)、少年サッカーチームのエルマーズ(1977年設立)のコーチ達が夜、小学校の体育館でボールを蹴ることから始まったそうです。その頃はそれがサロンフットボールという意識すらなく、ボールもサッカーボールの空気を抜いて使ったとのことですが、それがきっかけで木曜サロンという名前で毎週木曜日にサロンフットボールの集まりが始まったそうです。それからしばらくして、最初は府中で働く日系ブラジル人は日系ブラジル人だけで大会をやっていたのですが、一緒にやろうということになり、1986年に第1回の府中フットサル大会(当時はサロンフットボール大会)が開催されたそうです。
このことは、府中アスレティックの現中村監督も、あるインタビューで、中村監督が高校の頃に、その第1回サロンフットボールに出場したと語っています。
「第1章その2府中水元クラブ」では、1996年の第1回選手権のエントリーの経緯を書いていますが、すでにその10年前くらいから府中ではサロンフットボールが始まっており、下地はあったのです。
そこから先は、本文に書いてあるとおりですが、ブラジルのフットサル情報、フットサル知識は、まずは、第1回選手権出場、第2回優勝の府中水元クラブによって吸収され、続いて、オスカー選手が第3回出場のアズー(設立は甲斐選手ら)に加わることにより、その後のカスカベウへと引き継がれたのでした。アズーは第3回選手権で準優勝でした。
さらに、第4回選手権には、そのオスカー選手自らが監督も兼務、さらにオスカー人脈から、当時、日系ブラジル人のフットサルが盛んだった群馬県の大泉町からダニエル大城、リカルド比嘉選手らも加わって、いきなり優勝したファイルフォックスに伝わり、瞬く間に関東はフットサルの中心的役割を果すようになりました。その後は、カスカベウ、ファイルフォックスを目標に関東第3勢力が立ち上がり、三国志を形勢した彼らは、前述した群馬・大泉町あるいは東海地方の天竜などの日系ブラジル人主催の大会に出場、貪欲にブラジルフットサルの情報、知識を吸収し、今日の日本の競技フットサルを築き上げたのでした。
実際、府中だけではなく、群馬・大泉町との連携、東海地方の天竜などとの連携なくしては、関東の隆盛は成しえなかったと思います。
あれから、15年の月日が流れ、現在の競技フットサルは、Fリーグの順位を見てもわかるとおり、1位名古屋、2位神戸、3位大分とベスト3を西が占めるようになりました。
それはそれで時代の流れであり、日本全体のレベルアップと捉えれば喜ばしいことであります。実際、情報、知識の流れもグローバルになりました。これからは各地域が切磋琢磨し、競争の時代に入ることを切に願ってあとがきを終えたいと思います。
本当に1年間ご愛読ありがとうございました。