関東には、人、モノ、金が揃っていたと前回書きましたが、そればかりではなく、第4の経営資源とも言われている「情報」があったことが関東をフットサルの中心へと導いたのでした。

 

フットサルは、スペースがない、ゴールが狭い、室内の水平な床面でボールは比較的正確に滑るなどの特性から、空間(スペース)と時間(タイミング)をどうコントロールするか、極めて知的なスポーツです。したがって、プレーヤーが上手くなるためには情報や知識が必要になります。その結果、情報源、知識源に必然的にプレーヤーは集まって来ます。その場所が、関東それも府中だったというわけです。このことは、「第1章その2府中水元クラブ」あるいは「第1章その7関東三国志2強勢力図考察」などに書いています。

 

では、なぜ、府中がフットサルの情報・知識の情報供給源になり得たのでしょうか。それは、フットサルの発祥ブラジルから日本に定住するようになった日系ブラジル人と府中のサロンフットボールの結びつきが出発点といっても過言ではありません。

 

まず、日系ブラジル人の歴史ですが、選手権が始まった6年前の1990年に入国管理法が改正され、日系3世まで就労可能な地位が与えられようになりました。この結果、ブラジル、ペルー等の中南米の日系人の入国が容易になり、来日者数が飛躍的に増加したのです。そして、労働力の受け入れ先としては、製造業の工場が中心となり、北関東地方、甲信越地方の機械、精密工場、東海地方の組み立て工場などに日系ブラジル人が多く定住するようになりました。

 

ちなみに、2009年の在日ブラジル人の居住人口は、愛知県6万7千人、静岡県4万3千人、三重県1万9千人、群馬1万5千人となっています。東京都は4千400人です。

 

1990年頃の分布はよくわかりませんが、この分布から類推、人口だけ見ると、関東よりも東海地方がフットサルの中心になりそうです。しかし、当時は、東京・府中市は東芝、NECなどの工場全盛時代で、それなりに多くの日系ブラジル人が働いていました。その中には、あの眞境名オスカー氏もいました。

 

一方、府中のフットサルの歴史ですが、驚くことに1986年頃つまり1990年の入国管理法改正の4年前、1996年第1回の選手権開催の10年前に、第1回の府中フットサル大会が開催されているほど、フットサル(当時はサロンフットボール)が盛んだったのです。

 

ファイルフォックスの現松村監督の話によると、松村監督がまだ23か24歳の頃(恐らく1983年から84年頃)、少年サッカーチームのエルマーズ(1977年設立)のコーチ達が夜、小学校の体育館でボールを蹴ることから始まったそうです。その頃はそれがサロンフットボールという意識すらなく、ボールもサッカーボールの空気を抜いて使ったとのことですが、それがきっかけで木曜サロンという名前で毎週木曜日にサロンフットボールの集まりが始まったそうです。それからしばらくして、最初は府中で働く日系ブラジル人は日系ブラジル人だけで大会をやっていたのですが、一緒にやろうということになり、1986年に第1回の府中フットサル大会(当時はサロンフットボール大会)が開催されたそうです。

 

このことは、府中アスレティックの現中村監督も、あるインタビューで、中村監督が高校の頃に、その第1回サロンフットボールに出場したと語っています。

 

「第1章その2府中水元クラブ」では、1996年の第1回選手権のエントリーの経緯を書いていますが、すでにその10年前くらいから府中ではサロンフットボールが始まっており、下地はあったのです。

 

そこから先は、本文に書いてあるとおりですが、ブラジルのフットサル情報、フットサル知識は、まずは、第1回選手権出場、第2回優勝の府中水元クラブによって吸収され、続いて、オスカー選手が第3回出場のアズー(設立は甲斐選手ら)に加わることにより、その後のカスカベウへと引き継がれたのでした。アズーは第3回選手権で準優勝でした。

 

さらに、第4回選手権には、そのオスカー選手自らが監督も兼務、さらにオスカー人脈から、当時、日系ブラジル人のフットサルが盛んだった群馬県の大泉町からダニエル大城、リカルド比嘉選手らも加わって、いきなり優勝したファイルフォックスに伝わり、瞬く間に関東はフットサルの中心的役割を果すようになりました。その後は、カスカベウ、ファイルフォックスを目標に関東第3勢力が立ち上がり、三国志を形勢した彼らは、前述した群馬・大泉町あるいは東海地方の天竜などの日系ブラジル人主催の大会に出場、貪欲にブラジルフットサルの情報、知識を吸収し、今日の日本の競技フットサルを築き上げたのでした。

 

実際、府中だけではなく、群馬・大泉町との連携、東海地方の天竜などとの連携なくしては、関東の隆盛は成しえなかったと思います。

 

あれから、15年の月日が流れ、現在の競技フットサルは、Fリーグの順位を見てもわかるとおり、1位名古屋、2位神戸、3位大分とベスト3を西が占めるようになりました。

 

それはそれで時代の流れであり、日本全体のレベルアップと捉えれば喜ばしいことであります。実際、情報、知識の流れもグローバルになりました。これからは各地域が切磋琢磨し、競争の時代に入ることを切に願ってあとがきを終えたいと思います。

 

本当に1年間ご愛読ありがとうございました。

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あとがき(なぜ関東だったか) その1

 

1年もの間、わかりにくい文章もありながら、お付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

最初はこんなに書くつもりはありませんでしたが、いつの間にか1996年くらいから2011年までの約15年間を131回に渡って書くことになってしまいました。これができたのも、何もないところから競技フットサルのジャンルを築き上げていった数多くの選手達あるいは選手達を支援する関係者達の努力をなんとか記録に留めておきたいと思う気持ちからでした。

 

実際、学校スポーツ、企業スポーツなどなんの後ろ盾もなく、あるときは、サッカーの落ちこぼれと揶揄されながらも、ひたすら競技フットサルをここまで引き上げてきた関係各位の努力には頭が下がります。

 

振り返ってみると、関東地域は日本全体から見ると9地域のひとつに過ぎないにもかかわらず、これだけのボリュームが書ける密度の濃い地域だったと改めて思います。

 

それは、フットサルの本質を表したもので、他地域の方から見ると不遜と思われるかも知れませんが、関東地域だからこそ、ここまで来た特殊性があるのではないかと思っています。

 

「第1章その7関東三国志の源流」でも若干触れていますが、あらためて関東の特殊性について語り、あとがきに代えたいと思います。

 

まず、関東はエンジョイフットサル(競技フットサルと対比して便宜上付けた名前で、競技よりも楽しむことを主目的にしたフットサル)が盛んな地域であり、競技フットサルの基盤がありました。基盤とは、会社経営風にいえば、人、モノ、金であり、モノとはここでは練習施設と考えます。

 

人は、人材であり、人口が多ければ必然的に優秀な人材を輩出する確率が高いこともありますが、エンジョイフットサルが盛んだから競技フットサルに目覚める確率も高かったといえるでしょう。なぜ、エンジョイフットサルが関東で盛んになったかというと、それはやはり都会型スポーツだからでしょう。経済中心の都会にあって、体を動かしたい、何かスポーツをやりたい、人と関わりたいなどの都会的欲求に、少ない人数で簡単に行えるスポーツとしてのフットサルがフィットしたとは、よく言われることです。

 

実際、最初は、フットサルを遊びでちょっとやってみて、次第にはまっていった有名選手は数多くいます。

 

次にモノ、すなわち練習施設は、関東の場合、いわゆるエンジョイ向けの商業民間コートが担ってきました。データは古いですが、2006年の日本フットサル施設連盟調べでは、全国で529の民間施設数に対して、関東は297と半数を占めています。身近に練習場が確保できなければ競技レベルが上がらないので、その意味でもエンジョイフットサルの役割は大きかったといえます。実際、競技フットサルの練習場確保の支援に民間施設が関わった事例を本文で書いています。

 

金は、フリーターの就職口が数多くあったことと捉えることができます。競技フットサルを続けていくためには、練習時間を確保することが必要で、なかなか普通のサラリーマンでは、時間の確保は難しいです。その点、関東は経済の中心地であり、いわゆるフリーターの就職口が多くあり、競技フットサルプレーヤーの経済を支える基盤があったといえます。また、商業民間施設も多くあったため、そのスタッフとしての働き口も重要な基盤といえましょう。

 

関東が競技フットサルの中心になった理由は、これら、人、モノ、金の基盤があったからではないでしょうか。しかし、それだけでしょうか。あとがきその2になりますが、次回にその辺を書いてみます。

 

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その9 競技フットサルの明日(最終稿)

 

 2011年3月11日14時46分、第16回選手権を開催している代々木第1体育館が突然揺れ始めた。おりしも、2次ラウンド準々決勝2試合が終わり、これから第3試合が始まろうとしていた矢先であった。あとでわかったことだが、それは、東北、関東地方を襲った大震災であった。むろん、残り2試合は中止、さらに翌日からの準決勝、決勝も中止と発表された。

 

 結局、3月24日、今年度は大会自体が中止と発表され、第16回選手権は優勝者を決めることなく幕を閉じることとなった。ちなみに、記録に留めておく意味で、2次ラウンド準々決勝の組み合わせを見てみると、第1試合がバルドラール浦安対バサジイ大分、第2試合がデウソン神戸対府中アスレティック、第3試合が湘南ベルマーレ対ステラミーゴ岩手花巻、第4試合が名古屋オーシャンズ対ファイルフォックスであった。関東同士の対決はなく、ファイル対名古屋の因縁対決がまたしても行われる抽選となっていたのである。

 

そして、第1試合が2-1で浦安、第2試合が8-3で府中が勝利、関東勢2チームのどちらかが決勝まで進むことが約束された。恐らく、名古屋対関東勢の戦いになったのであろう。

 

 それにしても、名古屋は選手権にまたしても見放される結果となった。前身の大洋薬品バンフの時こそ優勝を飾ったが、名古屋オーシャンズになってからは、1年目は浦安に、2年目はフウガに、いずれも決勝で敗れ、3年目はアジアクラブ選手権出場のため欠場、そして4年目は大震災で大会自体が中止となった。この結果、注目だった名古屋オーシャンズの年間3冠すなわち天下統一は、ついにこの三国志記述中は成らなかったことになる。

 

 話は前後するが、3月18日から第11回地域チャンピオンズリーグが開催された。開催場所がグリーンアリーナ神戸ということもあって、地震の影響がないことから開催となった。しかし、東北代表のディアボーイズは出場辞退となった。

 

 結果は、関東代表のカフリンガ(関東リーグ優勝)、フウガ(関東リーグ準優勝)の決勝戦となり、フウガが4-3でカフリンガを下し、地域チャンピオンズリーグ2連覇を達成した。関東勢の1位、2位フィニッシュは、第2回のファイルフォックス・ガロ、第3回のカスカベウ・ロンドリーナ、第5回のファイル・シャークス以来4度目である。関東の復権を確かなものとする結果であろう。なお、フウガは、関東リーグ2位、選手権予選敗退、地域チャンピオンズリーグ優勝、カフリンガは関東リーグ優勝、選手権予選敗退、地域チャンピオンズリーグ2位の成績で今シーズンを終えた。

 

 こうして、2010年度の主要公式大会は終了を迎えたが、次年度はどんなフットサルが待っているのだろうか。残念ながら、この三国志はこの項で終了するため、先のことは書けない。しかし、想像することはできる。少しだけ未来を語ってみよう。

 

 三国志の軸はリーグ戦、選手権、日本代表であるため、その軸で想像してみる。

 

まず、関東リーグ、来年は第13回を迎える。2月27日に参入戦の最終日が行われ、1部2部入れ替え戦は、ブラックショーツが2部2位の浦安のセグンドを5-1で下し、1部残留を決めた。したがって、カフリンガ、フウガ、コロナ、ゾット、ファイルフォックス、アルティスタ、ブラックショーツ、柏イーグルスの8チームで行われる。

 

2部は、デルソール中野(東京)、FCmm(千葉)が参入、マルバ、バルドラール浦安セグンド、フュンフシュピーラー山梨、フトゥーロ、ノーボ、大洋薬品バンフ、岩槻FC、三榮不動産、ミリオネア、セニョールの12チームで行われる。

 

1部は、上位新興4チームにファイル、ブラックシショーツの古豪、新規参入の柏イーグルスがどこまでからんでくるかが面白い。

 

2部は、マルバ、フトゥーロの古豪が1部復帰なるか、はたまたバルドラール浦安セグンドが再び1部挑戦権を得られるかが面白い。また、元Fリーガーを多数(西野、松浦、武井、碓井、安川)擁する新規参入のデルソール中野が初年度どこまで上に行けるかも大変興味深い。

 

このように、関東リーグは、ようやくFリーグへの大量人材流出が止まり、逆にFリーグから戻った人材が若手をひっぱる傾向も見られ、活気を帯びつつある。観客数も増えてきた。何よりも、1部、2部の入れ替え、参入戦など新陳代謝が激しいことも興味を増す要因となっている。これからは、1部のチーム数をいかに増やしていくかが課題となろう。

 

Fリーグは、5年目を迎える。次年度は現状10チームで継続、名古屋1強の構図は変わらないものと想像される。しかし、次の年度は、なんらかのチームの入れ替え、チーム数増などの動きが出るのではないだろうか。また、地域リーグとの交流戦が比較的早く実現されるのではないだろうか。

 

実際、3月21日に、Fリーグのカップ戦であるオーシャンアリーナカップに地域チャンピオンズリーグの優勝、準優勝の2チームが参加できるという画期的なニュースが発表された。今年度は、フウガ、カフリンガが参加するわけであるが、選手権でフウガは湘南に勝利、カフリンガはエスポラーダ北海道と引き分けているので、非常に楽しみな企画である。

 

監督を含めた移籍あるいは引退については、全くわからないが、例年なみの動きはあるのであろう。この原稿を書いている最中、名古屋オーシャンズはなんとブラジル代表でスペインリーグではインテルで大活躍したマルキーニョを獲得したと発表がなされた。リカルジーニョも尊敬するくらいの選手である。

 

ますます、名古屋が突出してしまうことになるが、他チームは、これに惑わされず、自分達の目指すフットサルは何なのか、中長期のビジョンのもとチーム作りをしていくことが大事なのではないだろうか。いずれにしても、5年目に入るため、今までのレビューが必要である。

 

選手権は、第17回を迎える。Fリーグと地域リーグの格差は、あいかわらずで今年度も5点差以上差が開いた試合は、8試合あった。しかし、関東リーグ、関西リーグのチームは勝利、引き分け、あるいは僅差の負けの試合があり、十分戦える面を見せている。ちなみに前回大会も5点差以上開く大会は8試合あり、互角の引き分けが1試合あっただけだった。

 

しかしながら、地域リーグにとっては、励みになる大会であり、そもそも、三国志の歴史を見てもわかるとおり、選手権を軸に日本の競技フットサルは進歩を遂げてきた。今後もその役割は担い続けて欲しいと思う。

 

ただ、地域チャンピオンズリーグとFリーグが連携する動きが現実となると、地域リーグにとっては地域チャンピオンズリーグが重要視されるかも知れない。なぜなら、通年リーグの優勝チームがFリーグに挑む方がはるかに価値があるからである。地域チャンピオンズリーグが発足の当時は、観客数が数人だったという笑い話もあるくらい、当時は選手権全盛の時代があった。三国志でも多くは取り上げなかったように思う。

 

これからは、地域リーグ、その上の地域チャンピオンズリーグ、そしてFリーグ交流戦といったピラミッド構造が確立されれば、地域のレベルもあがり、選手権での格差も減っていくのではないだろうか。

 

 

日本代表は、3月19日、ポルトガル代表との2試合、スペインのクラブチームとの試合に向けて、ヨーロッパ遠征に旅立った。(この原稿を書いている最中、結果がもたらされ、ポルトガルとは、1-6、2-3のスコアだったという。)

 

来年の5月にはワールドカップの予選を兼ねた第12回アジア選手権が開催される。そして、秋にはタイでワールドカップが開催される予定だ。つまり、ワールドカップ予選まではあと1年、本戦までは1年半しかない。主要メンバーはおおよそ固まったと思われ、あとは国際試合の経験をいかに積めるかがポイントとなろう。恐らく、ワールドカップ出場はアジア枠が開催地枠も含めて5チームらしいので、まずは出場できるであろう。本戦で1次予選リーグ突破(ベスト8)なるかは、前述した国際試合経験とクジ運で決まるものと思われる。ちなみに開催国タイは、ベスト8の目標を掲げている。

 

引退した藤井も述べているように、日本代表がフットサルを続ける大きな動機になったとしており、競技フットサルの発展に役立っていることは間違いない。Fリーグ設立の大きな目標も日本代表の強化である。前述した地域リーグとFリーグの連携が深まれば、日本代表に地域リーグからも選出できる環境が生まれるかも知れない。中期的には。地域リーグ、Fリーグ、選手権すべての頂点に日本代表があるようなベクトル合わせが必要であろう。

 

以上、地域リーグ、Fリーグのリーグ戦、選手権、日本代表の明日について考えてみたが、明日は決して暗いものではない。むろん、平坦なものではないが、今までは、これらの軸を意図して連携させては来なかった。これからは、この3軸をうまく組み合わせていくことにより、競技フットサルの明日は確かなものになるのではないだろうか。

 

(終わり・・・あとがきを後日書きます。長い間、ご愛読ありがとうございました。)

 

 

 

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その8 関東の復権

 

 2011年3月5日から大阪の舞洲アリーナ、神戸のグリーンアリーナで第16回選手権1次ラウンド(予選リーグ)が開催された。参加チームは、Fリーグ10チームと、北海道1、東北1、関東3、北信越1、東海2、関西2、中国1、四国1、九州2の24チームであった。今年度からフットサル施設枠と大学枠が廃止され、すべて地域の代表がFリーグに挑む大会となった。ちなみに、前回は2次ラウンド(決勝トーナメント)に進んだのは全てFリーグのチームであった。

 

 ところで、参加チーム枠の変更ばかりでなく、予選グループの順位決めのルールも変更になっていた。第15回までは、勝ち点が同じ場合は、得失点差、次に総得点、次に当該チーム間の対戦成績、抽選の順番であった。しかし、今大会から、勝ち点が同じ場合は、当該チーム間の対戦成績、当該チーム間の得失点差、当該チーム間の総得点差、グループ内の得失点差、総得点、反則の数、抽選と続くルールに変更になったのだ。

 

 これは、予選グループは6グループあり、Fリーグチーム数は10チーム、したがって、Fリーグチームが2チーム同居するグループが4つとなり、Fリーグ対地域リーグの得失点差でグループの順位が決まってしまう確率が高くなる弊害を無くそうとするものである。まさか、その適用が早くもなされ、悲喜こもごもの結果になるとは誰も予想できなかったに違いない。

 

 では、どこの予選グループで起きたのであろうか。それは。Bグループで、このグループには九州代表のボルク北九州、関東のフウガ、湘南ベルマーレ、シュライカー大阪のFリーグ2チーム同居の組み合わせであった。昨年までであったら、九州代表のボルク北九州が標的にされ、いかにこのチームとの対戦で大差をつけるかが焦点になったことであろう。しかし、今年からは、フウガ、湘南、大阪の3チームの直接対決がものもいうことになった。

 

 そして、初日、大阪対フウガは3-0で、湘南対ボルクは6-0でまずは大阪がリードした。2日目のフウガ対湘南は、なんとフウガが5-4で湘南を下し、フウガは五分に持ち込むことに成功する。大阪対ボルクは11-1で大阪が大勝する。この時点で大阪が2勝、以前のルールだったら1敗しても得失点差16であるからほぼ大阪が1位抜けで決まりと思われた。

 

 しかし、最終日、フウガはがんがばってボルクを16-3で破り、2勝1敗、得失点差を10点とした。この時点で、フウガは大阪が湘南に勝てば大阪が1位抜け、フウガはグループ2位になってワイルドカード争いに残るはずであった。

 

 ところが、新ルールのせいで、湘南ががんばった。なんと、湘南が大阪を4-2で下したため、3チームが1勝1敗の同勝ち点、したがって当該チーム間の得失点差争いとなり、大阪、湘南が同じプラス1、フウガがマイナス2となり、この時点でフウガは3位で予選リーグ敗退となってしまった。大阪、湘南は得失点差が同じだから総得点の争いとなり、湘南がグループ1位、大阪は2位となり、得失点差11でワイルドカード争いにまわることになってしまった。

 

 フウガは、Fリーグチームを下しながら、新ルールにより涙を呑んだ。もっとも、ワイルドカード争いに残ったとしても、結果的には他のチームが得失点差で上回り、2次ラウンドには進めなった。

 

 他のチームとは、実は同じ関東代表のファイルフォックスであった。ファイルは、なんと因縁の名古屋オーシャンズと同組のCグループとなった。因縁とは、周知のとおり、名古屋にはゴールキーパー定永、木暮、前田、森岡の4人のファイル出身のメンバーがいるからである。一方のファイルには、ファイルから名古屋オーシャンズの前身大洋薬品バンフに移籍、その後古巣に戻った難波田、ウイニングドッグ時代から木暮のチームメイト岩田がいた。

 

ファイルのゲームプランとしては、名古屋に最小失点で負け、他チームには大量得点で勝利することであった。名古屋以外のチームは北信越代表のジョガボーラ、四国代表のディスダードであった。実際、ファイルは初日のジョガボーラに8-1、2日目の名古屋戦を最小得失点差の0-1で負け、3日目の試合に賭けることとなった。ここでも難波田の若い選手達の鼓舞がひかり、粘り強い守備で名古屋の猛攻を1点に抑えるのだった。ちなみにワイルドカードのもう1枚はAグループのバルドラール浦安が2勝1分けで確保している。

 

もう1チーム有力なワイルドカード狙いのチームがあった。それは、グループEのペスカドーラ町田で、同組にはデウソン神戸、ナスパ四日市(東海)、レオン福岡(九州)がいた。まず、デウソン神戸が5-1で町田を下し、3勝として1位抜けを決める。町田は2勝1敗狙いの大量得点が必須となった。町田の3日目の相手は、レオン福岡でそれまでの得失点差は神戸に大差で負けたのが痛く、マイナス1であった。しかし、レオン福岡に14-2の大差で勝利し、得失点差を11とする。これは、大阪と同じであるが、総得点で大阪を上回っているから、ファイルの結果次第となった。試合はファイルより1試合早く終わっている。

 

ファイルは、得失点差6であるから、6点差を付けてディスダード(四国)に勝たねばならなかった。守備は堅調だが、得点力には不安のあるファイルだったが、この日は違っていた。かってのチームメイトがいる王者名古屋にみっともない負け方をせず、1点差で乗り切ったことが自信をつけたのであろうか。関東リーグではなかなか爆発しなかった荻窪(ロンドリーナより移籍)が大爆発、5点を奪う活躍を見せ、10-2で大勝をする。この結果、得失点差を14とし、町田を退けてワイルドカードにより本戦出場を果たすのだった。同時刻スタートで名古屋対ジョガボーラが行われていたが、さきに試合が終わったため、名古屋の木暮、前田らがファイルを応援している姿が印象的であった。

 

すでに引退発表していた藤井にとっては、皮肉にも関東に戻ることはできなかった。

 

 なお、関東第3代表のカフリンガは、死のグループと呼ばれるDグループに入ってしまった。このグループには、関西代表のSWH、エスポラーダ北海道、バサジイ大分のFリーグ2チームがいて、関東、関西の地域代表とFリーグ2チームが激突するグループとなった。カフリンガは、エスポラーダ北海道に引き分け、関西代表で関西リーグ優勝のSWHに9-6で勝利する健闘ぶりを見せた。しかし、バサジイ大分に2-6で破れ、予選リーグ敗退で選手権初出場を終えた。

 

 関東代表の3チームは、関東リーグ1位のカフリンガが関西リーグ1位のSWHを破り、関東の面目を保つと同時にFリーグチーム北海道と引き分け、2位のフウガが湘南ベルマーレを破り、古豪ファイルは名古屋に0-1と健闘、1次ラウンドを突破するなどいずれも好成績を納めた。

 

 ちなみに、1次ラウンド突破は、Fリーグが岩手、浦安、湘南、名古屋。大分、神戸、府中の7チームと地域リーグからファイルの合計8チームで、関東は4チームを占めることとなった。

 

 関東の復権の日は近い。

 

(続く・・毎週随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。ながらくお付き合いいただいてありがとうございました。次回で終了とさせていただきます。)

 

 

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その7 NO8の引退

 

名古屋の4連覇が決まった2011年1月16日の約1ヶ月後、2月11日に競技フットサルに大きな足跡を残した選手の引退が発表された。それは背番号8で有名な藤井健太選手である。

 

藤井は、もともと関西の出身であるが、関東とは縁が深く、最初はライバルとして、最後は、関東では欠かせない存在となった。むろん関東のみならず、日本の競技フットサルの牽引役としても活躍、サッポ監督時代の最後の日本代表キャプテンであった。したがって、本三国志にも数多く登場している。

 

まず、第1章チーム勃発その2「府中水元クラブ」で、1996年の第1回選手権で、府中水元クラブのライバルとして登場している。府中水元クラブは、サッカー技術を主体としたNTT九州サッカー部(のちのJ2ロアッソ熊本)に予選で敗退、その時優勝した体育系専門学校ルネス学園甲賀サッカークラブとは対戦すら出来なかった。藤井はそのルネス学園の学生であった。そして、府中水元クラブは、府中アスレティック、ファイルフォックス、フトウーロなどのチームの源流となったチームである。

 

 そして、その活躍が認められて第3回世界選手権のアジア予選(アジア選手権の前身)の日本代表にフトウーロの上村とともに選ばれている。恐らく、これが藤井健太をフットサルへと導いた原点であろう。

 

 続いて同じ第1章チーム勃発その4「小金井ジュール、井の頭くな、マルバ」にて、直接、名前は書いていないが、アズーを下し、1998年の第3回選手権に2度目の優勝を飾ったルネス学園として登場している。つまり、藤井は、府中水元クラブ、アズーの伝説の2チームを倒しているのである。ちなみに、この時のルネス学園メンバーには、板谷竹生、原田健二(のちにファイルフォックス)がいた。

 

 第2章ファイルフォックス時代その1「ファイルフォックス初優勝」では、藤井はルネス学園を卒業、フットサルチームのアスパを設立、1999年の第4回選手権に登場している。このとき、アスパはファイルフォックスに予選リーグで敗れている。続けてその2「第1回アジア選手権」では、本格的に日本代表活動が始まり、相根、市原とともに日本代表として登場している。奇しくも、この2人は藤井の最後のチームであるペスカドーラ町田のチームメイトとなっており、相根はすでに紹介したとおり、2008年に引退している(第13章その1「K9の引退」を参照)。不思議な縁を感じる。

 

 続けてその9「ファイルフォックス2連覇」では、2000年の第5回選手権に登場、またしても決勝でファイルフォックスに敗れるのであった。この時、準決勝では、ウイニングドッグと当たっており、11-3の大差でウイニングドッグを下している。そのウイニングドッグには木暮(のちに名古屋オーシャンズ)がいた。

 

 第3章カスカベウの逆襲その1「呉越同舟のブラジル遠征」では、ウイニングドッグに敗れ選手権出場を逃した甲斐率いるカスカベウ、ファイルフォックスに決勝で敗れた藤井率いるアスパ、それとファイルフォックスのオスカー、難波田、ウイニングドッグの木暮という不思議な取り合わせのブラジル遠征に登場している。この時、戦ったブラジルチームBORDONの名前を取って、帰国後はボルドンを立ち上げている。恐らく、ファイルフォックスに敗れたあとのブラジルでの刺激、人脈の形成など、この遠征は藤井のフットサル人生の1つのエポックだったに違いない。

 

 ブラジル遠征後の第2回アジア選手権(2000年5月、バンコク)は、バンコクの悲劇といわれた日本が第4回世界選手権を逃した大会である。藤井もそのメンバーで、第3章その3「バンコクの悲劇」で登場している。藤井が引退した今、バンコクの悲劇を味わったメンバーで現役選手は、ゴールキーパー定永、市原、前田、鈴村、難波田の5人となってしまった。

 

 2001年の第6回選手権はボルドンで出場、またしても準決勝でファイルフォックスに敗れてしまう。そして、3位決定戦は、東海の新興チーム、ボーン77と対戦、これを7-2で下し、3位となる。この時のボーン77には、金山、稲田がいて、奇しくも藤井最後のチームメイト(ペスカドーラ町田)となるとは、誰も想像できなかったに違いない。

(第3章その9「カスカベウ大願成就」より)

 

 2001年の7月には第3回アジア選手権が開催されるが、前回大会で世界選手権出場を逃した日本は、監督にサッカーの木村和司を起用した。したがって、選手起用もサッカー界から起用されたり、過去の実績が通用しないなどから藤井は選に漏れてしまう。この時、藤井はフットサルを辞めようかとも思ったという。しかし、継続したことにより、その後の日本代表に常に選ばれ続け、2004年の世界選手権(台湾)、2008年のワールドカップ(ブラジル)と2大会連続のワールドカップ出場を果たすのであった。

 

 2002年には、スーパーリーグに特別参加したマグに入団、関東にもお目見えするようになり、次第に目は関東、日本へと向いていった。そこには、とにかく自分自身うまくなりたいという負けん気と日本のフットサルを競技スポーツとして根付かせたい熱い想いがあったのだと思う。

 

 そして、3年後の2005年10月、ついに上京、バルドラール浦安の前身プレデターにマグから移籍、2006年には第11回選手権でプレデターを初の日本一に導くのであった。藤井自身にとっては、1998年以来8年ぶり3度目の優勝である。さらに、同じ年の5月、ウズベキスタンで行われた第8回アジア選手権ではアジアNO1にまで登りつめる。

 

 このように、最初は関東のライバルとしてサッカースタイルでファイルフォックス、カスカベウの源流である府中水元クラブ、アズーの前に立ちはだかり、彼らに刺激を与えた。

 

 それがファイルフォックスに敗れること2度、3度、そしてブラジル遠征でフットサルに目覚め、フットサルを極めようと決断する。ところが、目覚めたところで第3回アジア選手権日本代表から外れてしまった。しかし、そこから這い上がり、第4回以降第5回ワールドカップ開催までのアジア選手権7回全ての日本代表に選出され、第1回アジア選手権以来の通算で数えると選出暦としては37回中34回選出されるという偉大な記録を残す波乱万丈の現役を送ったのであった。ちなみに選出されなかった3回とは、第3回アジア選手権、2005年4月のイラン遠征(NIOCカップ)、2007年10月のアジアインドアゲームである。

 

 新旧交代は歴史の常とはいえ、藤井のDNAは是非引き継がれて欲しいものである。

 

(続く・・毎週随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。終了時期は別途お知らせします。)

 

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その6 新しい力と伝統の力

 

名古屋の4連覇が決まった2週間後の2月5日、6日と駒沢屋内球技場では、第16回選手権の関東予選大詰めの試合が行われていた。数々のドラマを生んできた選手権関東予選も、Fリーグが設立されてから4年目を迎える。

 

ファイルフォックスと死闘を演じ、ようやく本大会決勝でファイルを下して優勝したカスカベウ、何度も何度も挑戦しながら予選突破できなかったがFリーグ設立直前のシーズンで優勝したプレデター、カスカベウに関東予選で負けながら本大会に出場、最後はそのカスカベウを破って優勝したロンドリーナなどはもういない。

 

逆に、1昨年Fリーグ優勝チームの名古屋を破って日本一になったフウガ、今年度の関東リーグ優勝チームのカフリンガ、めきめき力を付けてきたコロナ、ゾットなどがベスト8を占めるようになった。そんな中、唯一、1996年の第2回選手権予選から出場しているマルバ(当時はSHNHA&CO.+MALVAと称す)、1998年の第4回予選から出場しているファイルがベスト8に残っていた。2チームとも関東リーグの成績は良くなく、ファイル5位、マルバは最下位で降格であったが、伝統の力であろうか、ベスト8に駒を進めてきたのだ。

 

 マルバはゾットを、ファイルは、フュンフシュピーラ(山梨)を倒し、ベスト4に進む。もう1つの山は、フウガがコロナを、カフリンガが2部優勝の柏を倒してベスト4に進む。

 

 奇しくも、ベスト4には古豪のマルバ、ファイルと新興の関東リーグ優勝のカフリンガ、2位のフウガが残る展開となった。このうち、3チームが選手権本戦出場の切符を得るわけであるが、トーナメントの山の関係で古豪のどちらかのチームと関東リーグの1位、2位どちらかのチームが選手権本戦に進むことができる。

 

 結果は、ファイルがマルバを倒し、フウガがカフリンガを倒して決勝はファイル対フウガの因縁対決となった。2チームは、フウガのボツワナ時代を含めて過去に選手権出場をかけて5度も戦っている。

 

最初は、第7回選手権で無名のボツワナがカスカベウを破った伝説の都予選の時である。この時は、都予選決勝で当たり、ファイルがボツワナを下し、ファイルが関東予選に進出、ボツワナは関東予選へ進むことはできなかった。ボツワナはこの敗戦をきっかけに本格的にフットサルに取り組むようになる。この年の優勝チームはファイルであった。

 

2度目の対戦は、第11回大会都予選の予選ブロックで当たっている。これも伝説となりつつある残り1秒のキックインドラマの結果、ボツワナが土壇場で勝ち越し、ファイルは予選ブロック敗退となってしまう。(第9章栄華期の頂点その7「残り1秒、キックインドラマの仕上げ」を参照)この年の関東代表は、フォルサヴェルヂ、プレデター、カスカベウ、ロンドリーナで、優勝はプレデターであった。

 

3戦目は、第12回大会で、この時は3位決定戦で当たり、ボツワナが勝っている。この年は、4チームまでが本戦に出場できるため、両チームとも本戦に出場した。この年の関東代表は、プレデター、府中アスレティック、ボツワナ、ファイルで、優勝チームは大洋薬品バンフである。ボツワナは初出場を果たす。

 

4戦目は、第14回大会で、準決勝で当たり、フウガが勝利、フウガは関東大会優勝のみならず選手権優勝の偉業を成し遂げる。ファイルは3位決定戦でカフリンガを破り、選手権出場を果たしている。この年の関東代表はフウガ、ロンドリーナ、ファイルである。ちなみに第13回大会は、フウガは準決勝でフトウーロに敗れ、3位決定戦もシャークスに破れ、選手権出場はならなかった。13回大会は、関東代表は、ファイル、フトウーロ、シャークスで、バルドラール浦安が優勝している。

 

5戦目は、第15回大会関東予選の3位決定戦で当たり、3-3のPK戦にもつれこみ、ファイルが勝って選手権本選へ進んだ。フウガは、前年選手権優勝、このシーズンの関東リーグを優勝しながら連続出場はならなかった。この年の関東代表はマルバ、ゾット、ファイル、優勝チームはシュライカー大阪である。

 

これまでフウガが3勝2敗となっている今回の戦いであるが、今までとは違ってどちらも選手権出場を決めているので、淡々と試合は進められた。しかし、気迫はどちらかというとファイルが上回っていただろうか。とりわけ、復帰した難波田の気迫は凄まじかった。難波田としては関東リーグを5位に終わり、不本意だったのだろうか。若手を鼓舞し、2-1でフウガを下すのであった。ファイルの伝統である守ってカウンターで攻めるスタイルがようやく浸透、伝統が蘇る結果となった。ファイルはこれで5大会連続本戦出場の記録を打ち立てた。通算では11回出場である。

 

マルバ対カフリンガの3位決定戦は、マルバが前半は2-1でリードするが、最後はカフリンガの地力が勝り、5-2でカフリンガが勝利、3番目の選手権本戦出場の切符を手に入れた。カフリンガは初出場である。

 

敗れたとはいえ、マルバも伝統のスピードあるカウンター攻撃が戻りつつあり、伝統の力でベスト4まで来た。1部復帰は近いのではなかろうか。

 

こうして、関東リーグ1位、2位と伝統のチームの3チームが、Fリーグ所属のチームが待ち構える選手権本戦に臨むことになった。Fリーグが設立されてからの関東代表としては、新しい力と伝統の力がミックスした1番充実した代表である。楽しみな地域リーグの挑戦となった。これも未来への光明であろうか。なお、カフリンガは地域リーグの年間3冠の権利を得たことになる。

 

(続く・・毎週随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。終了時期は別途お知らせします。) 

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その5 Fリーグの明日

 

 関東リーグ最終節が行われた12月18日から年が明けた2011年1月16日、Fリーグでは早々と名古屋オーシャンズが4連覇を決めた。Fリーグ第22節であった。

 

関東リーグが、最終節まで4チーム優勝の可能性があるデッドヒートを繰り返していた展開とは対照的に、この節で名古屋オーシャンズが勝ち点56、2位は府中アスレティックで勝ち点40と得失点差16の優勝となった。

 

昨シーズン途中から怪我で出場しなかったシジネイの代わりにリカルジーニョ(代わり以上)、ウイルソンの代わりにネゴン、新たに若手、逸見の台頭などマイナス要素がなくプラス要素ばかりの名古屋が昨シーズンと同様、優勝を早々と決めることは当然といえば当然であった。実際、専門誌「ットサルナビ」が行ったポータルサイト主宰者、ライター、カメラマン、編集者などフットサル識者11人の優勝予想アンケートでは全員名古屋を優勝に投票していた。

 

問題は、2位以下で2位から中位の予想が難しかったようである。まず、最も当たらなかったのは、ペスカドーラ町田の不振であった。予想では、平均4位であったが結果は9位に終わった。失点が118点、1試合平均4.4点のワーストではこれも仕方があるまい。浦安から市原、稲田の移籍によりカスカベウの復刻と前評判が高く、そのご祝儀投票もあったと思われる。なお、ジュニオール監督は14節終了時点で辞任、育成指導担当だった横山(シャークスからペスカドーラ町田)が代わって監督指揮を執ることになった。

 

逆に、順位を上げた方で当たらなかったチームは府中アスレティックである。予想は平均で8位と評判が悪かったが、4位まで順位は上げた。名古屋が優勝を決めたこの時点では2位だったから大躍進である。評判が悪かった理由は昨年最下位だったからであろうが、監督がガルジェッリから中村に交代なったこと、デウソン神戸から伊藤を獲得、守備とメンタリティが強化されたこと、攻撃でポイントになるベッチーニョの加入などが過少評価されたものと思われる。また、タイからルーチャイを途中からであるが助っ人に呼んだ効果も大きいがこれは予想できなかった。実際、府中は昨シーズン最下位のときは得点、失点ともワーストであった。

 

奇しくも関東2チームが大きく外れたチームとなったが、これは偶然だろうか。

 

次に差があったのは、2位に8票、3位に3票の高得点をマークしたシュライカー大阪の不振で、この節も9位の湘南に1-2で破れ、この時点でなんとアドリアーノは退任、次節からドゥダが選手から監督への交代人事を発表した。(この辺の経緯は、第12章移籍勃発その10「日系ブラジル人監督の系譜」で書いている。)

 

大阪が投票で2位の高評価だった理由は、昨シーズンの選手権制覇とゴールキーパーイゴールの評価が高かったためと思われる。しかし、今シーズンは失点が昨年の50から67と1.34倍高く、一方、得点能力が70点とステラミーゴ岩手花巻の58についでワースト2位では、最終順位5位に終わるのも仕方がないところである。

 

 次に、バサジイ大分が投票では平均5.7位が結果は3位、エスポラーダ北海道が投票では平均4.1が7位と開きが3位くらいになっている。

 

 デウソン神戸は、予想では平均4位だったが、結果は2位、まあまあ当たった方であろうか。鈴村が昨年後半からスペインに戻ってきて、守備の強化が図られ、山田ラファエルユウゴ、原田の攻撃陣などとのバランスが評価されたと思われる。結果もほぼ期待どおりだった、

 

 若手中心に切り替えた浦安は、監督にサテライトを指導していた岡山を起用、ベテランの市原、稲田を放出し、サテライトから小倉、瀬川などを抜擢した。予想では戦略ダウンの心配の向きもあったが、平均予想が8.0位、結果は6位で若干健闘を見せた。

 

 湘南ベルマーレは、監督が奥村から再び小野が指揮を執ることになったが、戦力の方は大きなプラスマイナスがなく、予想も平均7.5位、結果も8位であった。ステラミーゴ岩手花巻も予想9.6位、結果10位と同様である。

 

このような結果を見てみると首位と下位は比較的予想がつくが、中位がなかなか予想しにくいということがいえる。これはなぜであろうか。

 

無論、実力が伯仲していることもあろう。実際、2位から5位までは勝ち点2差内にひしめいている。

 

しかし、本質的にはFリーグはプロリーグではないことが要因に挙げられよう。つまり、プロリーグならば選手の実力が俸給に反映され、その集合体としてのチームにその実力が反映される。例えば、Jリーグでいえば、選手の年俸の合計金額でチームの順位がほぼ決まるといわれている。サッカーばかりでなくプロ野球においても同じことがいえる。

 

逆に言えば、選手の査定システムが出来上がっているとも言える。例えば、有名なのはプロ野球の楽天で、あらゆるシーンを想定して、そのプレーに点数がついて、その点数を金額換算すると年俸が決まるといわれている。サッカーJリーグでも、ビデオ映像から選手のプレーを解析、選手の査定や作戦立案に使われている。

 

フットサルにおいても、スペインリーグでは、多くの監督は選手がピッチに立っている時に得点が入ったらプラス、失点したらマイナス、シュート、ゴールの数はもちろん、パスの数、成功率などのスコアを付けて、査定や選手のレベルアップに役立てている。

 

むろん、順位予想にこのようなツールを使えといっているわけではない。選手の査定の仕組みができておらず、その仕組みの整備が急務であると言いたいのだ。

 

 

 また、第3者が選手を査定するばかりでなく、選手自身も自己評価を行い、常に危機感を持って試合に臨む必要がある。

 

Fリーグが設立されて4年、どれだけ選手はレベルアップできたのであろうか。選手はどれだけチームにどんなプレーで貢献できたのであろうか。プロならば、簡単である。年俸がそのバロメータに他ならないからである。

 

Jリーグも初期の頃は、リネカー、リトバルスキー、ジーコなど有名外国人による観客動員を図った時代があった。しかし、今は逆に海外にどんどん人材を輩出するまでになった。Fリーグもいずれはリカルジーニョ頼みには限界があろう。そのためには、外国人プレーヤーを活用しつつ、並行して日本人プレーヤーのレベルアップが必須である。かくて、プロ化でなくとも、何らかの査定の仕組みがないと選手もチームも発展はないと考える。

 

(続く・・毎週随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。地震で更新が遅れました。また選手権がどうなるかわからないので、終了時期は別途お知らせします。)

 

 

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その4 人気回復の関東リーグ

 

 2010年12月18日、駒沢総合体育館にて第12回関東リーグの最終節が行われた。前節までの結果は、1位カフリンガ勝ち点26、2位フウガ勝ち点25、3位ゾット勝ち点23、4位コロナ勝ち点23、以降5位ファイルフォックス、6位アルティスタ、7位ブラックショーツ、8位マルバという順位であった。つまり、最終節段階で1位から4位までが勝ち点3差すなわちどのチームも優勝の可能性を残す展開となっていた。一方、下位はマルバこそ最下位が確定したが、残留争いは残っており、6位アルティスタと7位ブラックショーツは勝ち点1差でどちらも残留確定の可能性を残しているのだった。

 

 これを見ると、奇しくも前々回紹介した学生チーム3チームに加え、前シーズンこそ不振に終わったがもともと実力があるカフリンガが首位という昔とは様変わりの新興チームがベスト4になっている。逆に、まだ難波田効果が現れていないファイルが5位、7位ブラックショーツ、最下位マルバと第2回以来の古豪は成績低迷という結果である。

 

 そんな最終節の対戦は、第1試合がマルバ対アルティスタ、第2試合コロナ対ファイルフォックス、第3試合フウガ対ゾット、第4試合ブラックショーツ対カフリンガの組み合わせとなった。

 

まず、第1試合はマルバが最下位確定とはいえ、意地をみせアルティスタを1-0で下した。この結果、ブラックショーツは最終試合負ければ入れ替え戦となるからブラックショーツにプレッシャーがかかると同時にカフリンガにもプレッシャーがかかる展開となった。

 

続く第2試合。コロナ対ファイルフォックスは、コロナが3-1で勝利、勝ち点26で首位カフリンガとならんだ。カフリンガが負けると勝ち点が同じで、直接対決でコロナが上回るため、カフリンガにプレッシャーがかかる展開となった。

 

 続く第3試合、フウガ対ゾット、お互い負ければ優勝戦線から脱落するので、両者必死の戦いはなんと5-5の引き分けに終わった。この結果、ゾットは勝ち点24に終わり、優勝戦線から脱落する。一方、フウガは勝ち点26としたが、次の試合のカフリンガが負けて勝ち点で並んだとしても直接対決でカフリンガに負けているため、この時点で優勝戦線から脱落、4連覇達成の記録も逃してしまった。また、地域リーグとしての年間3冠の権利も失った。

 

 そして最終試合、ブラックショーツ対カフリンガ戦、ブラックショーツは負ければ入れ替え戦にまわる。カフリンガは負ければ、勝ち点でコロナと並び、この場合は、直接対決でコロナに負けているため、優勝はできない。お互い、負けられない最終節、最終試合となったが、カフリンガが2-1で勝利、初優勝を飾った。一方、ブラックショーツは2部2位チームと入れ替え戦にまわることとなった。なお、最終成績は、成績順にカフリンガ、フウガ、コロナ、ゾット、ファイル、アルティスタ、ブラックショーツ、マルバ(自動降格)となった、

 

 なお、2部の最終節は12月25日に行われ、優勝が柏イーグルストア(自動昇格)、2位がバルドラール浦安セグンドとなった。1部2部入れ替え戦はブラックショーツ対バルドラール浦安セグンドとなった。

 

 このように、最終試合、最終節まで優勝および残留争いで盛り上がった関東リーグ1部であったが、観客動員数も昨年度より9%増の延べで2万843人を記録した。昨年度は1万9121人で、今年度は箱根レイクアリーナの遠い場所での開催もあったため、それを割り引くと10%増となり、観客が戻って来たといえる。とりわけ、フウガの動員力が貢献しており、墨田区総合体育館でのフウガの試合は877人、1012人、1182人を記録している。また、1日の動員数の最高も墨田区総合体育館で記録しており、それは13節の2609人であった。

 

 

ちなみに関東リーグ最後のピークは、2005年6月15日、府中総合体育館で行われた第7回関東リーグの開幕節で、第1試合の府中アスレティック対サルバトーレソーラが1068人、第2試合ファイルフォックス対ボツワナ(のちのフウガ)、1316人、第3試合シャークス対ガロ、1236人、第4試合カスカベウ対フトゥーロ、1239人で、延べ4859人であった。(第9章栄華期の頂点その5「真夏の8連戦」より)

 

Fリーグが設立された今、動員数は半分以下になってしまったが、戻ってきたことは光明である。

 

(続く・・毎週随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。地震により選手権の日程が変更になったので、終了時期は別途お知らせします。)

 

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その3 リカルジーニョの衝撃

 

 ○○の衝撃というフレーズはこの三国志において何回使ったか、覚えている方は相当な三国志フリークであろう。それは第2章ファイルフォックス時代その6「アトレチコミネイロの衝撃」と第7章世界選手権その7「カステジョンの衝撃」である。最終章において、リカルジーニョの衝撃を書くことになるとは感慨深いものがある。

 

思い返してみると、アトレチコミネイロの衝撃は、1998年8月で場所は駒沢屋内競技場であった。その頃は雑誌ピヴォもナビもなく、告知といえばインターネットのフットサルネットとFC JAPANくらいであった。何せ、関東リーグもなかった時代である。

 

続いてカステジョンの衝撃は、2004年8月のことで、場所は駒沢屋内球技場および駒沢体育館であった。アトレチコミネイロの衝撃から6年の歳月を経て、マスメディアも増え、世界選手権に出場も決まり、フットサルの認知度が急速に上がった時期であった。関東リーグは第6回を数えていた。

 

そして、今回のリカルジーニョの衝撃は、2010年8月のFリーグ開幕節で場所は代々木体育館であった。初日の土曜日の第1試合、名古屋オーシャンズ対エスポラーダ北海道という関東とは縁のない試合にもかかわらず5500人の観衆を集めるのだった。

 

アトレチコミネイロの衝撃から数えること12年、カステジョンの衝撃から数えて奇しくも同じ6年の歳月を経たことになる。すでにFリーグは4年目に入り、一般紙のスポーツ結果に掲載されるまでになった。(なお、リカルジーニョのデビュー戦は、7月に行われたオーシャンアリーナカップであるが、便宜上、Fリーグ開幕節のデビュー戦を衝撃の日とした。)

 

リカルジーニョのプレー振りなどはすでにいろいろ書かれているので、特にここでは触れないが、リカルジーニョの影響について考えてみよう。まず、前2つの衝撃度は、確かにアトレチコミネイロにはトビアス、ファルカンのスターがおり、カステジョンにはハビロドリゲスがいたが、衝撃は、小気味いいほどのダイレクトパスやツータッチの簡単で正確なパス、最後は無人のゴールに決められる日本の負け方であった。しかし、それは所詮エキジビジョンマッチであり、いつも見ることができるわけではない。しかも、当時は個人としても呼べる環境にはなかった。

 

しかし、あれから6年が経過、今や、名古屋オーシャンズだけかも知れないが、個人を呼べる環境ができ、リカルジーニョの凄さをサッカーのテレビほどではないが伝えるメディアも発達してきた。つまり、リカルジーニョの衝撃とは、世界の超有名な選手が日本に契約で長期に来ていることである。日本が衝撃を受けるというより、世界がリカルジーニョの日本行きに衝撃を受けているかも知れないと考えることができる。

 

むろん、そんなことができるのは名古屋オーシャンズだけかも知れないが、これをきっかけに世界の有名な選手が日本に来やすくなることは十分考えられる。第2、第3の名古屋オーシャンズが現れないとも限らず、このモデルにはおおいに期待したいものである。

 

(続く・・毎週随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。目指せ、3月13日終了)

 

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その2 新生関東リーグ

 

 2010年5月22日、奇しくも新生日本代表が第11回アジア選手権に臨もうとする前の日、2010第12回関東リーグ1部開幕節が開催された。場所は寒川総合体育館であった。

 

 関東リーグ1部もFリーグが出来てから丸3年目、その影響から脱却、新しい動きが出てきた。

 

 まず、今シーズンよりコロナが復帰、ゾットと同じリーグとなったことである。ゾットは、2004第6回関東リーグで1部に昇格したものの1シーズンで降格してしまった。そして、2009第11回から復帰している。一方、コロナは、2006第8回で昇格、しかし、2008第10回で降格してしまった。なんと、その時の入れ替え戦の相手がゾットであった。そして、今回第12回、2部で優勝、1シーズンで復帰である。つまり、両チームはすれ違ってしまい一緒のリーグになるのは、今回が初めてということになる。両チームは、早稲田、法政のサッカー同好会から発展したチームで、今までにない新しいタイプのチームということになる。

 

 そういう意味では、フウガも大学ではないが、都立駒場高校と暁星高校のサッカー部OBが合体したチームで、学生チームが原点である。そして、ゾットとフウガも入れ替わるような降格と昇格があり、この3チームが同じリーグになるのはこのシーズンが初めてというわけである。(その辺の経緯は、第3章栄華期の頂点その1「明暗分けたボツワナとゾット」、第13章新旧交代の波その9「新陳代謝とそれを阻むもの」に記している。)

 

 コロナが1シーズンで復帰できた背景には監督兼選手の大場徹の力が大きい。大場は、ロンドリーナに在籍していたが、2007年にコロナに入団、しかし、2008年には大洋薬品バンフに移籍、大洋薬品バンフが施設枠で出場した第14回選手権にはメンバーに入る経験をしている。181センチの大柄ながらテクニックにも優れ、最初のコロナ在籍のときは関東リーグオールスターにも選ばれている。2009年にはコロナに戻り、監督兼選手を務めるようになった。指導面においても非常に勉強熱心でコロナをより高いレベルのフットサルへと牽引している。実際、コロナは開幕節、フウガと引き分けする健闘を見せた。のちのことになるが、今シーズンは3位と好成績を収め、優勝争いにからむようになるのである。

 

 コロナの大場(監督兼選手)は1981年生まれ、ゾットの清野(監督兼代表兼選手)は1980年生まれ、そしてフウガの須賀(監督)は1982年生まれとまだ若いが、指導者もしくはチーム代表の道を歩もうとしている。とりわけ、須賀の目標は明確に監督業を目指しているように見える。関東リーグ創世期では考えられないことであるが、若い人が指導者あるはチーム代表を目指すことは大変喜ばしいことだと思う。また、Fリーグでは難しいかも知れないが地域リーグではこのような機会がいくつも転がっているのだ。そこに地域リーグの光明があるのかも知れない。

 

 一方、古豪といわれるようになったファイルフォックスにも明るい材料が見出された。それは、2月20日に行われた2部2位Iwatsuki Futsal Club/tzkとの入れ替え戦に

終了間際に同点引き分けに持ち込み、1部に留まったことおよびついに難波田が戻ってきたことだ。難波田は、昨年末に府中アスレティックを退団、昨年の選手権出場を目指してチームに復帰、ファイルフォックスの選手権出場に貢献したが、今シーズンからリーグ戦にも出場、本格的に復帰となった。これで、湘南ベルマーレから戻った岩田、新たに加わった荻窪らと若手を引っ張る体制が出来上がった。

 

 この結果、前述した3チームが若い力でチームを牽引するモデルに対して、Fリーグを経験したベテランが地域リーグに戻って若手を育成する2つのモデルが出来上がったことになる。Fリーグが設立されて丸3年、これからは後者のモデルも増えることであろう。実際、すでにマルバが、大森(岩手)、出浦(岩手)らを加え、先鞭をつけている。また、のちの話になるが2011第13回関東リーグ2部に昇格するデルソール中野(東京都)も西野(大阪)、松浦(岩手)、碓井(湘南)を加えて実力を付けた。ここにも地域リーグの光明があった。

 

 結局、第12回関東リーグ1部は、前述3チームと辛うじて1部に留まったファイル、カフリンガ、アルティスタ、マルバ、ブラックショーツの8チームでスタートすることになったが、第2回大会の顔ぶれからすると残っているのはファイル、マルバ、ブラックショーツのチームだけとなった。

 

 一方、2部は参入戦で山梨のヒュンフと千葉のバルドラール浦安セグンドが昇格、N.U.FantersSELECTIVO de OHARAはいずれも降格してしまった。

 

バルドラール浦安セグンドが2部に昇格したことにより、3つ目の新しいモデル、Fリーグのサテライトチームが地域リーグに進出するモデルが誕生した。なお、すでに東海リーグで、名古屋オーシャンズがこのモデルの先鞭をつけている。

 

このように、関東リーグもいきなり新生ということではないが、序々に生まれ変わろうとしている。

 

(続く・・毎週随時更新・・ご指摘、ご意見お待ちしています。目指せ、3月13日終了)

 

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著者プロフィール

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木暮 知彦
関東フットサルリーグ広報委員。1998年よりフットサルの普及に努め、現在に至る。

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